ささげの歴史 第1回
1.古代時代・・・久良岐郡の成り立ちと白雉
現在でも久良岐公園に名を残す久良岐(くらき)郡の名前は、奈良時代の続日本紀(697年より791年までの95年間の歴史編纂記)に初めて出てきます。日本全国を60の国とし、神奈川県の平戸永谷川の西部を相模国鎌倉郡とし、笹下を含む大岡川の東部を武蔵国久良岐郡と称しました。港南区には、その武蔵国と相模国の国境があります。この時代の日本は疫病が大流行し、さらに飢饉・災害も多い時代で、人々は希望を求めていたと言われています。そのためこの時代、瑞祥(めでたいことがおこるという前兆)として、白い雉・白い亀・白い鹿等が珍重されて天皇に献上されていましたが、この武蔵国の久良岐郡で「白い雉」が768年に発見されて天皇に献上されました。その褒美として久良岐郡は、納める田租の1/3を免除されたと、この歴史書に記されています。白い雉の献上は郷土の誇りとして地域に長く伝えられたと云われています。 (参考文献「親子で読むふるさと港南の歴史」)