ささげの歴史 第2回
2. 鎌倉~戦国時代編
<鎌倉の道のなりたち>
奈良・平安時代の政治・文化は、西国が中心でしたが、平安末期になると源氏が武家の棟梁として力を持ち、近江源氏らの勢力と共に伊豆から頼朝が1180年に挙党し、鎌倉に入り1185年(諸説あり)に幕府を開きました。幕府はその後、執権・北条氏が政権を運営しますが、「いざ鎌倉の道」として上(かみ)の道、中(なか)の道、下(しも)の道の3本が造られました。その内の「中(なか)の道」、「下(しも)の道」が港南区にあり、特に武蔵国側は、「下(しも)の道」と平地沿いの「かねさわ道」を結ぶ鎌倉古道(大北道、七里堀、峯の道、小坪道)など今も地名に残る道があります。道幅は6m、土塁は2mの軍事道路でした。かねさわ道は、三浦半島の主街道として機能し、江戸時代は諸大名の参勤交代や、幕末の坂本龍馬や近藤勇、土方歳三らも黒船見物の為に通ったと言います。
鎌倉古道(港南笹下地区)