ささげの歴史 第3回
3. 鎌倉、相模・武蔵国を治めた領主たち
鎌倉時代、私たちが住む港南の地は、誰が治めていたのでしょうか? 現在の鎌倉街道の地域は、弘明寺から七曲りまで豊かな水田や畑が広がり、戦前まで穀倉地帯でした。 平安時代の港南は、久良岐郡・平子庄と呼ばれる荘園で貴族・寺社が所有し、地元の平子氏が管理していました。鎌倉幕府になると豊かな水田を守り、海(房総)への備えや軍事道路であった鎌倉道の監視のために和田義盛(初代侍所別当)が高台の野庭(現・野庭中央公園一帯)に砦を築いて港南の地を治めました。「野庭・関城」の置かれた野庭は,昔は野場と言われ、広い草原で馬を飼育するのに適していました。
野庭中央公園
馬洗川の伝説
頼朝亡き後、尼将軍と呼ばれた北条政子は、上永谷駅近くの馬洗川(日野川の支流)で、走らせた馬をここで休ませ、洗ったと伝えられています。(石碑あり)政子は、源氏の祈願所の弘明寺参拝の帰り南高~相武山小の道を通って馬洗いで休憩し、更に下の道を通り鎌倉に帰ったと思われます。
馬洗橋にある石碑の絵