ささげの歴史 第4回

第4話 鎌 倉~戦国時代編 ささげの起源と城・領主たち

鎌倉幕府、室町幕府が終わり、応仁の乱=戦国時代になって、伊勢新九郎(改名して北条早雲)が1516年頃に後北条(小田原北条氏)として関東を治めますが、この港南の地「ささげ」は家臣の間宮氏が支配して笹下城(1530年頃)を築いたとされます。笹下城は、外敵の房総・里見軍に備え、東に「杉田陣屋」、屏風ヶ浦の「森陣屋」、南に「氷取沢陣屋」、北に出城としての「松本城:現・天照大神社」などを構え、西は遠く玉縄城へと通じていたと云われます。その範囲は、日野川と笹下川の挟まれた港南区(関の下~港南台)・磯子区(笹下~栗木) とされます。ささげは、笹下城と共に発展し物流・人流ともに重要拠点でした。

笹下(ささげ)の由来

笹下を治めた間宮氏は、出身は近江国蒲生(がもう)篠笥(ささき)郷(佐々木荘とも云われる)が発祥で、佐々木神社の神官が先祖です。関東に移る際に佐々木氏から間宮氏を名乗りました。 後年、小田原北条氏に仕えた間宮信元がここ港南に山城を築城した時、先祖の発祥地である篠笥(ささき)郷の地名を付け、篠笥城としました。 ささげの由来は、① 篠笥(ささき)」 ⇒笹下となった説。② 「佐々木」 ⇒ 「佐々(ささ)(き)村」 ⇒ 「佐々(ささ)(げ)村」 ⇒ 「笹下村」 に変わっていったという説があります。

協力:港南歴史協議会