ささげの歴史 第5回
第5話 川とのかかわり・・・大岡川の歴史
港南の地は、大岡川流域の恩恵によってその時代ごとに産業が発達してきました。
大岡川の全長は約14㎞にもなり、その源流は円海山の湧き水を集めて氷取沢を通り、笹下川となり、港南台藤ヶ沢を水源とする日野川と笹野橋あたりで合流して大岡川となります。
1.川の災害
日野川・笹下川が合流する大岡川は、当時「九十九曲り」と云われる程、蛇行し氾濫も多いため、過去幾度となく洪水を起こして災害をもたらしたといわれます。また江戸時代の富士山の宝永噴火の火山灰による堆積で、大岡川は各所でせき止められ、水が田畑へ流出して周囲の村々に甚大な被害がありました。洪水災害は現代(昭和40年代)まで続き、これを防止する日野川と笹下川をつないだ根岸湾への分水路が完成したのは昭和57年でした。
神奈川県大岡川分水路
2.川の利用
江戸時代から大岡川沿い一帯には用水路が発達し、豊かな水源を利用して農業地域が形成されていました。
明治36年頃の上大岡付近の田植
横浜の染色工業は、明治23年、フランス商人がもたらしたといわれ、染色後の洗浄に多量の水が必要なことから、大岡川沿いは、染色工業にとって好立地でした。
昭和30年頃の大岡川での水洗い
しかし、昭和30年代に共同で利用できる水洗工場が建設され、河川による水洗いは行われなくなりました。「横浜スカーフ」として地場産業となった横浜捺染業は、平成直前のピーク時には捺染会社が130社ほどありましたが、今は16社程に減りました。 そして現在の大岡川は、洪水や汚染も少なくなり、毎年開催される【笹下地区】大岡川クリーンアップなどの地域での川の清掃によって魚やホタルなどの自然が戻っています。