ささげの歴史 第6回

第6話 歴史と私たちの今 (最終回)

私たちが住む港南は、今から1200年前の古墳時代に倉樔(くらす)(久良岐)として歴史に登場します。

奈良時代にはここで吉祥の印の(はく)()(しろきじ)が見つかり東海道を通って都の天皇に献上されました。鎌倉時代に入ると東国の武士たちがこの地を治め、軍事道路としての鎌倉古道が整備され、野庭関城、笹下城、松本城などの城も築かれました。城の名の由来として、佐々(ささ)()佐々木(ささぎ)⇒笹下の名前ができたとも云われます。港南を流れる日野川、笹下川、大岡川の豊かな水は、田畑を潤し、稔りを与えますが、災害・日照りでは水争いも江戸時代には起こりました。幕末に開港した横浜は、時代の先端を担うようになり、横浜発祥といわれる物も多く輩出されています。横浜開港の道は、現代の鎌倉街道となり、台地、河川の立地の良さを活かして、農作物・野菜・鑑賞花の出荷や河川水を利用した捺染・スカーフ産業が生まれました。谷と台地と川で構成されたこの地形(港南・笹下地区)に住む私たちは、先人たちのたゆまぬ努力の跡をたどることができます。今そこにある歴史、地域の神社・大岡川・笹下川・日野川の散策を通して、ふるさと港南の歴史に触れてはいかがですか?

~ 終わり ~