カテゴリー: ささげひろば

  • ささげの歴史 第2回

    2. 鎌倉~戦国時代編

    <鎌倉の道のなりたち>

    奈良・平安時代の政治・文化は、西国が中心でしたが、平安末期になると源氏が武家の棟梁として力を持ち、近江源氏らの勢力と共に伊豆から頼朝が1180年に挙党し、鎌倉に入り1185年(諸説あり)に幕府を開きました。幕府はその後、執権・北条氏が政権を運営しますが、「いざ鎌倉の道」として上(かみ)の道、中(なか)の道、下(しも)の道の3本が造られました。その内の「中(なか)の道」、「下(しも)の道」が港南区にあり、特に武蔵国側は、「下(しも)の道」と平地沿いの「かねさわ道」を結ぶ鎌倉古道(大北道、七里堀、峯の道、小坪道)など今も地名に残る道があります。道幅は6m、土塁は2mの軍事道路でした。かねさわ道は、三浦半島の主街道として機能し、江戸時代は諸大名の参勤交代や、幕末の坂本龍馬や近藤勇、土方歳三らも黒船見物の為に通ったと言います。

    鎌倉古道(港南笹下地区)

  • ささげの歴史 第1回

    1.古代時代・・・()()()(ぐん)の成り立ちと(しろ)(きじ)

    現在でも久良岐公園に名を残す久良岐(くらき)郡の名前は、奈良時代の続日本紀(697年より791年までの95年間の歴史編纂記)に初めて出てきます。日本全国を60の国とし、神奈川県の平戸永谷川の西部を相模国鎌倉郡とし、笹下を含む大岡川の東部を武蔵国久良岐郡と称しました。港南区には、その武蔵国と相模国の国境があります。この時代の日本は疫病が大流行し、さらに飢饉・災害も多い時代で、人々は希望を求めていたと言われています。そのためこの時代、瑞祥(ずいしょう)(めでたいことがおこるという前兆)として、白い雉・白い亀・白い鹿等が珍重されて天皇に献上されていましたが、この武蔵国の久良岐郡で「白い雉」が768年に発見されて天皇に献上されました。その褒美として久良岐郡は、納める田租の1/3を免除されたと、この歴史書に記されています。白い雉の献上は郷土の誇りとして地域に長く伝えられたと云われています。 (参考文献「親子で読むふるさと港南の歴史」)

  • 敬老研修旅行 (6月8日(木) 島田市ばらの丘公園・焼津温泉)

    雨かとハラハラしていましたが、当日は天候に恵まれ、112人で出発しました。車内で特殊詐欺に関するDVDを見て、あやしい話は「お断りします!」と、はっきり言うことを学びました。

    ばらの丘公園で美しいバラを見て幸せな気分になった後は、焼津温泉に移動、それから豪華なお食事です。オーシャンビューの部屋で、ひとりずつ舟盛りのお刺身、カラオケや談笑を楽しみ、温泉に入る方もいて、それぞれ素敵な時間をすごしました。親睦も深まり、お土産もついて、いい1日でした。次回開催の際は、ぜひご参加くださいね。

    ささげひろば 第30号:2023/9発行 より

  • ふるさとささげのフォトコンテスト 結果発表‼️

    募集テーマ ささげならではの表情を感じる桜の花を含めた風景

    笹下連合会長賞

    「桜と川と」  丹澤佑輔さん

    撮影場所:港南ふれあい公園近く

    撮影日:2023/3/28

    受賞者コメント

    視点を少し変えるだけで、周りの美しさが見えてきます。

    緑が増し、桜が咲きだす頃となるとなおさらです。

    そんな中、子どもたちの遊ぶ姿を切り取って見ました。

    子どもたちが健やかに成長されることを願っています。

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