令和6年度 第1回 令和6年6月15日 於:港南中央地域ケアプラザ
テーマ 『能登半島地震を通じて、地域のつながりをあらためて考えてみよう』
今回は、港南区社会福祉協議会の西澤さんと港南区役所保健師の生末さんから、能登半島地震の被災地応援業務に従事した際の体験談をお聞きしました。「日頃からの地域のつながり」をテーマにし、グループ毎で分かれて意見交換を行いました。
当日は栗原港南区長をはじめ地域の33名の皆様にご参加いただきました。
令和6年度 第1回 令和6年6月15日 於:港南中央地域ケアプラザ
テーマ 『能登半島地震を通じて、地域のつながりをあらためて考えてみよう』
今回は、港南区社会福祉協議会の西澤さんと港南区役所保健師の生末さんから、能登半島地震の被災地応援業務に従事した際の体験談をお聞きしました。「日頃からの地域のつながり」をテーマにし、グループ毎で分かれて意見交換を行いました。
当日は栗原港南区長をはじめ地域の33名の皆様にご参加いただきました。


令和5年度第2回目は、笹下地区別計画5つのテーマの中の一つ「3世代が参加・交流するまち」をテーマに、昨年9月に行われた「ささげ祭り」を振り返りながら意見交換が行われました。連合各部会の皆さんを中心に約40名の方が参加されました。


当日は様々な切り口でささげ祭りに対する意見がでてきてました。これからのささげ祭りをどうあるべきかという意見交換がなされました。今後これらの意見を受けて、活発な議論が進むことでしょう。

詳細の資料へのリンクはこちら 230217意見交換会レビュー
当日のプログラム資料 20240217意見交換会プログラム.pdf
開催場所:港南ふれあい公園
1時間半で集めたゴミの総重量は約80.5㎏!
三連休の中日の開催にもかかわらず、参加募集チラシの掲示・回覧から応募してくださったみなさんや、港南中学校と笹下中学校の生徒のみなさん、合計20チーム/約80名の参加者が港南ふれあい公園に集いました。
ゴミを拾うエリアは、笹下連合全域。ゴミの種類でポイントがあり、その獲得ポイントで順位が決まるので、各チームが作戦会議をしてからゴミ拾いへ出発しました。制限時間内に戻ってきた時はたくさんのゴミを集めてきましたが、さらにここから細かく分別をしていくので、改めてゴミの分別を学ぶこともできました。ポイ捨てや分別などゴミのマナーを守り、いつもきれいな笹下にしていきたいですね。
結果 チーム名(獲得ポイント/ゴミの重量・g)
1位:KRYKR(36,294ポイント/11,315g)
2位:南台キッズA(35,760ポイント/12,030g)
3位:あんまん(25,085ポイント/4,720g)








完璧と思うほど気持ちのいい早朝、82名を載せたバス2台に揺られて目的地へ向かいます。やがて富士山の麓2合目にあるスキー場スノーパークYeti(イエティ)に朝9時過ぎには到着。スキーの楽しさを体験できるイベントとして開催しました。


はじめてのスキーにスクールに入って滑り方を覚える方。家族で参加してスキー場のひとときを楽しむ方。スキー場といういつもとちょっとだけ違う空間で、それぞれ参加いただいた方々が様々な楽しみ方を体験いただけました。



日帰りという日程の関係上、夕方16時には現地を出発し帰路につきました。とはいえバスが着くまでがスキーツアー。楽しい時間として皆さんで過ごすことができました。
2023年11月19日(日)15:00-17:00
桜道コミュニティハウスにて若手ボランティア座談会を開催しました。
前半は3つの班に分かれ個別議論、後半に議論結果を発表しました。
議論は白熱し活発な座談会になりました。ご参加いただいた皆様 ありがとうございました。
・座談会出席者 50音順
青木(南台)、青田(広地) 池田(南桜) 石丸(南ヶ丘)
大原(南ヶ丘) 倉田(西松本) 高橋(青木)
寺山(中の丸上) 樋川(西松本) 福山(笹下台団地)
山田(南桜) 和田(大谷)
・座談会事務局 広報委員会
小舩 青田 武本 松谷
・討議内容、発表まとめ
①ボランティアをはじめたきっかけ
・防災意識
・高齢化した際の地域との関わりのため
・スポーツボランティア、東京マラソン 東京2020
・町内会イベントでのお手伝い
・民生委員からのその他委員への兼務
・委員高齢化に伴う人出不足解消
・身近な人からのお誘い
・妻からの勧誘
②経験してきたボランティア内容
・スポーツボランティア
・車椅子サポートボランティア
・地域の親父会
③ボランティアに参加してよかったこと
・地域の方と仲良くなれる 交流が密になる
・会社のつきあいとは異なる付き合い方を学ぶ
・イベント参加者からの感謝の言葉かけ
・小さい子が大きくなってから あの時はお世話になりました とお礼される
・中学校プールの水を災害トイレ用の水に使うなど 新しい発見があった
・地域に顔が知られた、ご近所に声掛けしやすくなる
④今後やってみたいボランティア
・レジャーイベント 子どもに体験させるようなイベント
・スポーツボランティア
・災害ボランティア
・傾聴ボランティア
・高齢者の薬を買いに行くボランティア
⑤笹下連合、あるいは 各町会に期待すること
・Web化、デジタル化 紙媒体の削減
・回覧板、掲示板の問題解消のため、情報伝達の迅速化、即時化
・役員、委員の若返り、若い世代の参加促進
・ボランティア有償化、各委員への報酬
⑥その他
・発信力強化 紙媒体から LINE、Instagramなど若い人が使うツールの活用
・この座談会のような連合内実行委員レベルでの交流会
・学生のボランティア活動への勧誘、ボンボリ飾りつけ、盆踊りでの演奏
・町会毎の夏祭りの開催内容を共有する場
・学生がイベントの企画主催を行い、町内会がバックアップ
・若い人の使うツール(SNS)での発信力強化
・発表内容詳細
A班 B班 C班
発表内容 発表内容 発表内容
写真1 2 写真1 写真1 2

9月30日土曜日、港南中学校において、5年ぶりの完全復活版ささげ祭りが開催されました。
コロナ禍直前の回は雨で中止、昨年の前回は食事制限/時間短縮の限定版でしたので 飲食有、丸一日の完全版は5年ぶりの開催です。暑過ぎず、雨もほぼ降らず、絶好の運動会向けのちょうどよい天気でした。
開会式では 荻久保会長のご挨拶、栗原区長はじめ来賓の方々からの激励をいただきました。
広報委員会からは ささげフォトコンテストの結果表彰を行い、進行中の川柳の募集の再周知も行いました。
準備体操として、全員でラジオ体操を行いました。多人数での動きの合った?ラジオ体操は壮観です。
午前の競技は、どの綱を狙うか駆け引き作戦が重要な飛びつき綱引き、今回は口でとる親子パン食い競争(去年はコロナ対策で手でパンを取りました。)、子ども達による追っかけ玉入れ、迫力ある一般男性による綱引き、なかなか進めずじれったいビン転がしリレー、意外に体力が必要なタイヤ引きリレーでした。楽しく爽やかな汗をかきました。
お昼の時間はコンサートです。笹下中学校、東永谷中学校、港南中学校のブラスバンドの楽しく軽やかな生演奏とダンスに心を和まされました。
午後の競技は バランスが大事なスプーンリレー、なかなか風船が割れない けつだん力リレー、そしてクライマックスの小学生徒競走リレーで 走者も応援も とても盛り上がりました。
ご参加および応援いただいた皆様、ありがとうございました。
来年も、今年に引き続き、完全版ささげ祭りが開催できることを願っています。

笹下中学校ブラスバンド部

東永谷中学校ブラスバンド部

港南中学校ブラスバンド部
第6話 歴史と私たちの今 (最終回)
私たちが住む港南は、今から1200年前の古墳時代に倉樔(久良岐)として歴史に登場します。
奈良時代にはここで吉祥の印の白雉(しろきじ)が見つかり東海道を通って都の天皇に献上されました。鎌倉時代に入ると東国の武士たちがこの地を治め、軍事道路としての鎌倉古道が整備され、野庭関城、笹下城、松本城などの城も築かれました。城の名の由来として、佐々貴⇒佐々木⇒笹下の名前ができたとも云われます。港南を流れる日野川、笹下川、大岡川の豊かな水は、田畑を潤し、稔りを与えますが、災害・日照りでは水争いも江戸時代には起こりました。幕末に開港した横浜は、時代の先端を担うようになり、横浜発祥といわれる物も多く輩出されています。横浜開港の道は、現代の鎌倉街道となり、台地、河川の立地の良さを活かして、農作物・野菜・鑑賞花の出荷や河川水を利用した捺染・スカーフ産業が生まれました。谷と台地と川で構成されたこの地形(港南・笹下地区)に住む私たちは、先人たちのたゆまぬ努力の跡をたどることができます。今そこにある歴史、地域の神社・大岡川・笹下川・日野川の散策を通して、ふるさと港南の歴史に触れてはいかがですか?
~ 終わり ~
第5話 川とのかかわり・・・大岡川の歴史
港南の地は、大岡川流域の恩恵によってその時代ごとに産業が発達してきました。
大岡川の全長は約14㎞にもなり、その源流は円海山の湧き水を集めて氷取沢を通り、笹下川となり、港南台藤ヶ沢を水源とする日野川と笹野橋あたりで合流して大岡川となります。
1.川の災害
日野川・笹下川が合流する大岡川は、当時「九十九曲り」と云われる程、蛇行し氾濫も多いため、過去幾度となく洪水を起こして災害をもたらしたといわれます。また江戸時代の富士山の宝永噴火の火山灰による堆積で、大岡川は各所でせき止められ、水が田畑へ流出して周囲の村々に甚大な被害がありました。洪水災害は現代(昭和40年代)まで続き、これを防止する日野川と笹下川をつないだ根岸湾への分水路が完成したのは昭和57年でした。

神奈川県大岡川分水路
2.川の利用
江戸時代から大岡川沿い一帯には用水路が発達し、豊かな水源を利用して農業地域が形成されていました。

明治36年頃の上大岡付近の田植
横浜の染色工業は、明治23年、フランス商人がもたらしたといわれ、染色後の洗浄に多量の水が必要なことから、大岡川沿いは、染色工業にとって好立地でした。

昭和30年頃の大岡川での水洗い
しかし、昭和30年代に共同で利用できる水洗工場が建設され、河川による水洗いは行われなくなりました。「横浜スカーフ」として地場産業となった横浜捺染業は、平成直前のピーク時には捺染会社が130社ほどありましたが、今は16社程に減りました。 そして現在の大岡川は、洪水や汚染も少なくなり、毎年開催される【笹下地区】大岡川クリーンアップなどの地域での川の清掃によって魚やホタルなどの自然が戻っています。
第4話 鎌 倉~戦国時代編 ささげの起源と城・領主たち
鎌倉幕府、室町幕府が終わり、応仁の乱=戦国時代になって、伊勢新九郎(改名して北条早雲)が1516年頃に後北条(小田原北条氏)として関東を治めますが、この港南の地「ささげ」は家臣の間宮氏が支配して笹下城(1530年頃)を築いたとされます。笹下城は、外敵の房総・里見軍に備え、東に「杉田陣屋」、屏風ヶ浦の「森陣屋」、南に「氷取沢陣屋」、北に出城としての「松本城:現・天照大神社」などを構え、西は遠く玉縄城へと通じていたと云われます。その範囲は、日野川と笹下川の挟まれた港南区(関の下~港南台)・磯子区(笹下~栗木) とされます。ささげは、笹下城と共に発展し物流・人流ともに重要拠点でした。
笹下(ささげ)の由来
笹下を治めた間宮氏は、出身は近江国蒲生郡篠笥郷(佐々木荘とも云われる)が発祥で、佐々木神社の神官が先祖です。関東に移る際に佐々木氏から間宮氏を名乗りました。 後年、小田原北条氏に仕えた間宮信元がここ港南に山城を築城した時、先祖の発祥地である篠笥郷の地名を付け、篠笥城としました。 ささげの由来は、① 「篠笥(ささき)」 ⇒笹下となった説。② 「佐々木」 ⇒ 「佐々気村」 ⇒ 「佐々下村」 ⇒ 「笹下村」 に変わっていったという説があります。

協力:港南歴史協議会
3. 鎌倉、相模・武蔵国を治めた領主たち
鎌倉時代、私たちが住む港南の地は、誰が治めていたのでしょうか? 現在の鎌倉街道の地域は、弘明寺から七曲りまで豊かな水田や畑が広がり、戦前まで穀倉地帯でした。 平安時代の港南は、久良岐郡・平子庄と呼ばれる荘園で貴族・寺社が所有し、地元の平子氏が管理していました。鎌倉幕府になると豊かな水田を守り、海(房総)への備えや軍事道路であった鎌倉道の監視のために和田義盛(初代侍所別当)が高台の野庭(現・野庭中央公園一帯)に砦を築いて港南の地を治めました。「野庭・関城」の置かれた野庭は,昔は野場と言われ、広い草原で馬を飼育するのに適していました。



野庭中央公園
馬洗川の伝説
頼朝亡き後、尼将軍と呼ばれた北条政子は、上永谷駅近くの馬洗川(日野川の支流)で、走らせた馬をここで休ませ、洗ったと伝えられています。(石碑あり)政子は、源氏の祈願所の弘明寺参拝の帰り南高~相武山小の道を通って馬洗いで休憩し、更に下の道を通り鎌倉に帰ったと思われます。

馬洗橋にある石碑の絵