投稿者: 松谷隆

  • ささげ祭り ー完全復活版ー (9月30日)

    9月30日土曜日、港南中学校において、5年ぶりの完全復活版ささげ祭りが開催されました。
    コロナ禍直前の回は雨で中止、昨年の前回は食事制限/時間短縮の限定版でしたので 飲食有、丸一日の完全版は5年ぶりの開催です。暑過ぎず、雨もほぼ降らず、絶好の運動会向けのちょうどよい天気でした。

    開会式では 荻久保会長のご挨拶、栗原区長はじめ来賓の方々からの激励をいただきました。
    広報委員会からは ささげフォトコンテストの結果表彰を行い、進行中の川柳の募集の再周知も行いました。

    準備体操として、全員でラジオ体操を行いました。多人数での動きの合った?ラジオ体操は壮観です。

    午前の競技は、どの綱を狙うか駆け引き作戦が重要な飛びつき綱引き、今回は口でとる親子パン食い競争(去年はコロナ対策で手でパンを取りました。)、子ども達による追っかけ玉入れ、迫力ある一般男性による綱引き、なかなか進めずじれったいビン転がしリレー、意外に体力が必要なタイヤ引きリレーでした。楽しく爽やかな汗をかきました。

    お昼の時間はコンサートです。笹下中学校、東永谷中学校、港南中学校のブラスバンドの楽しく軽やかな生演奏とダンスに心を和まされました。

    午後の競技は バランスが大事なスプーンリレー、なかなか風船が割れない けつだん力リレー、そしてクライマックスの小学生徒競走リレーで 走者も応援も とても盛り上がりました。

    ご参加および応援いただいた皆様、ありがとうございました。

    来年も、今年に引き続き、完全版ささげ祭りが開催できることを願っています。

    笹下中学校ブラスバンド部

    東永谷中学校ブラスバンド部

    港南中学校ブラスバンド部

  • ささげの歴史 第6回

    第6話 歴史と私たちの今 (最終回)

    私たちが住む港南は、今から1200年前の古墳時代に倉樔(くらす)(久良岐)として歴史に登場します。

    奈良時代にはここで吉祥の印の(はく)()(しろきじ)が見つかり東海道を通って都の天皇に献上されました。鎌倉時代に入ると東国の武士たちがこの地を治め、軍事道路としての鎌倉古道が整備され、野庭関城、笹下城、松本城などの城も築かれました。城の名の由来として、佐々(ささ)()佐々木(ささぎ)⇒笹下の名前ができたとも云われます。港南を流れる日野川、笹下川、大岡川の豊かな水は、田畑を潤し、稔りを与えますが、災害・日照りでは水争いも江戸時代には起こりました。幕末に開港した横浜は、時代の先端を担うようになり、横浜発祥といわれる物も多く輩出されています。横浜開港の道は、現代の鎌倉街道となり、台地、河川の立地の良さを活かして、農作物・野菜・鑑賞花の出荷や河川水を利用した捺染・スカーフ産業が生まれました。谷と台地と川で構成されたこの地形(港南・笹下地区)に住む私たちは、先人たちのたゆまぬ努力の跡をたどることができます。今そこにある歴史、地域の神社・大岡川・笹下川・日野川の散策を通して、ふるさと港南の歴史に触れてはいかがですか?

    ~ 終わり ~

  • ささげの歴史 第5回

    第5話 川とのかかわり・・・大岡川の歴史

    港南の地は、大岡川流域の恩恵によってその時代ごとに産業が発達してきました。

    大岡川の全長は約14㎞にもなり、その源流は円海山の湧き水を集めて氷取沢を通り、笹下川となり、港南台藤ヶ沢を水源とする日野川と笹野橋あたりで合流して大岡川となります。

    1.川の災害

    日野川・笹下川が合流する大岡川は、当時「九十九曲り」と云われる程、蛇行し氾濫も多いため、過去幾度となく洪水を起こして災害をもたらしたといわれます。また江戸時代の富士山の宝永噴火の火山灰による堆積で、大岡川は各所でせき止められ、水が田畑へ流出して周囲の村々に甚大な被害がありました。洪水災害は現代(昭和40年代)まで続き、これを防止する日野川と笹下川をつないだ根岸湾への分水路が完成したのは昭和57年でした。 

    神奈川県大岡川分水路

    2.川の利用

    江戸時代から大岡川沿い一帯には用水路が発達し、豊かな水源を利用して農業地域が形成されていました。

    明治36年頃の上大岡付近の田植

    横浜の染色工業は、明治23年、フランス商人がもたらしたといわれ、染色後の洗浄に多量の水が必要なことから、大岡川沿いは、染色工業にとって好立地でした。

    昭和30年頃の大岡川での水洗い

    しかし、昭和30年代に共同で利用できる水洗工場が建設され、河川による水洗いは行われなくなりました。「横浜スカーフ」として地場産業となった横浜捺染業は、平成直前のピーク時には捺染会社が130社ほどありましたが、今は16社程に減りました。 そして現在の大岡川は、洪水や汚染も少なくなり、毎年開催される【笹下地区】大岡川クリーンアップなどの地域での川の清掃によって魚やホタルなどの自然が戻っています。

  • ささげの歴史 第4回

    第4話 鎌 倉~戦国時代編 ささげの起源と城・領主たち

    鎌倉幕府、室町幕府が終わり、応仁の乱=戦国時代になって、伊勢新九郎(改名して北条早雲)が1516年頃に後北条(小田原北条氏)として関東を治めますが、この港南の地「ささげ」は家臣の間宮氏が支配して笹下城(1530年頃)を築いたとされます。笹下城は、外敵の房総・里見軍に備え、東に「杉田陣屋」、屏風ヶ浦の「森陣屋」、南に「氷取沢陣屋」、北に出城としての「松本城:現・天照大神社」などを構え、西は遠く玉縄城へと通じていたと云われます。その範囲は、日野川と笹下川の挟まれた港南区(関の下~港南台)・磯子区(笹下~栗木) とされます。ささげは、笹下城と共に発展し物流・人流ともに重要拠点でした。

    笹下(ささげ)の由来

    笹下を治めた間宮氏は、出身は近江国蒲生(がもう)篠笥(ささき)郷(佐々木荘とも云われる)が発祥で、佐々木神社の神官が先祖です。関東に移る際に佐々木氏から間宮氏を名乗りました。 後年、小田原北条氏に仕えた間宮信元がここ港南に山城を築城した時、先祖の発祥地である篠笥(ささき)郷の地名を付け、篠笥城としました。 ささげの由来は、① 篠笥(ささき)」 ⇒笹下となった説。② 「佐々木」 ⇒ 「佐々(ささ)(き)村」 ⇒ 「佐々(ささ)(げ)村」 ⇒ 「笹下村」 に変わっていったという説があります。

    協力:港南歴史協議会

  • ささげの歴史 第3回

    3. 鎌倉、相模・武蔵国を治めた領主たち

    鎌倉時代、私たちが住む港南の地は、誰が治めていたのでしょうか? 現在の鎌倉街道の地域は、弘明寺から七曲りまで豊かな水田や畑が広がり、戦前まで穀倉地帯でした。 平安時代の港南は、久良岐郡・平子庄と呼ばれる荘園で貴族・寺社が所有し、地元の平子氏が管理していました。鎌倉幕府になると豊かな水田を守り、海(房総)への備えや軍事道路であった鎌倉道の監視のために和田義盛(初代侍所別当)が高台の野庭(現・野庭中央公園一帯)に砦を築いて港南の地を治めました。「野庭・関城」の置かれた野庭は,昔は野場と言われ、広い草原で馬を飼育するのに適していました。

    野庭中央公園

    馬洗川の伝説

    頼朝亡き後、尼将軍と呼ばれた北条政子は、上永谷駅近くの馬洗川(日野川の支流)で、走らせた馬をここで休ませ、洗ったと伝えられています。(石碑あり)政子は、源氏の祈願所の弘明寺参拝の帰り南高~相武山小の道を通って馬洗いで休憩し、更に(しも)の道を通り鎌倉に帰ったと思われます。

    馬洗橋にある石碑の絵

  • ささげの歴史 第2回

    2. 鎌倉~戦国時代編

    <鎌倉の道のなりたち>

    奈良・平安時代の政治・文化は、西国が中心でしたが、平安末期になると源氏が武家の棟梁として力を持ち、近江源氏らの勢力と共に伊豆から頼朝が1180年に挙党し、鎌倉に入り1185年(諸説あり)に幕府を開きました。幕府はその後、執権・北条氏が政権を運営しますが、「いざ鎌倉の道」として上(かみ)の道、中(なか)の道、下(しも)の道の3本が造られました。その内の「中(なか)の道」、「下(しも)の道」が港南区にあり、特に武蔵国側は、「下(しも)の道」と平地沿いの「かねさわ道」を結ぶ鎌倉古道(大北道、七里堀、峯の道、小坪道)など今も地名に残る道があります。道幅は6m、土塁は2mの軍事道路でした。かねさわ道は、三浦半島の主街道として機能し、江戸時代は諸大名の参勤交代や、幕末の坂本龍馬や近藤勇、土方歳三らも黒船見物の為に通ったと言います。

    鎌倉古道(港南笹下地区)

  • ささげの歴史 第1回

    1.古代時代・・・()()()(ぐん)の成り立ちと(しろ)(きじ)

    現在でも久良岐公園に名を残す久良岐(くらき)郡の名前は、奈良時代の続日本紀(697年より791年までの95年間の歴史編纂記)に初めて出てきます。日本全国を60の国とし、神奈川県の平戸永谷川の西部を相模国鎌倉郡とし、笹下を含む大岡川の東部を武蔵国久良岐郡と称しました。港南区には、その武蔵国と相模国の国境があります。この時代の日本は疫病が大流行し、さらに飢饉・災害も多い時代で、人々は希望を求めていたと言われています。そのためこの時代、瑞祥(ずいしょう)(めでたいことがおこるという前兆)として、白い雉・白い亀・白い鹿等が珍重されて天皇に献上されていましたが、この武蔵国の久良岐郡で「白い雉」が768年に発見されて天皇に献上されました。その褒美として久良岐郡は、納める田租の1/3を免除されたと、この歴史書に記されています。白い雉の献上は郷土の誇りとして地域に長く伝えられたと云われています。 (参考文献「親子で読むふるさと港南の歴史」)

  • 敬老研修旅行 (6月8日(木) 島田市ばらの丘公園・焼津温泉)

    雨かとハラハラしていましたが、当日は天候に恵まれ、112人で出発しました。車内で特殊詐欺に関するDVDを見て、あやしい話は「お断りします!」と、はっきり言うことを学びました。

    ばらの丘公園で美しいバラを見て幸せな気分になった後は、焼津温泉に移動、それから豪華なお食事です。オーシャンビューの部屋で、ひとりずつ舟盛りのお刺身、カラオケや談笑を楽しみ、温泉に入る方もいて、それぞれ素敵な時間をすごしました。親睦も深まり、お土産もついて、いい1日でした。次回開催の際は、ぜひご参加くださいね。

    ささげひろば 第30号:2023/9発行 より

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